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2009年10月31日

秋は、人生の終焉を迎える人が多いですね。

 


 今朝も葬式の連絡が入りました。

木々の葉が、色づいて1枚・2枚と落ちていって、そして最後に何もなくなてしまうように、

そして人の一生も、稲穂のように、実って枯れていくのですね。


長門さんの本、オークションに掛けているのですが、質問がきたので、ぱらぱらと本をめくっていました。

長門さんの女性遍歴、すごいなーと改めて認識させられます。

”南田さんよくがまんしていたなあ。” 男としては、うらやましくもあるのですが・・・

 

 そういえば、欽ちゃんの弔辞ネットで出ていました。

南田洋子さん、本当にお別れですか。南田さんの多くのファンの方が悲しみに手を合わせています。

 南田洋子さんにお会いすると、いつも何かを心配してくれる人でした。随分、言葉に甘えました。本当にありがとうございました。

 でも随分、おうちに遊びに行かせていただきました。うちの中で、南田さんのよく聞かれる言葉が、一番多かった言葉が、長門さんへの心配でした。でも長門さんが一番、南田さんに聞かれる言葉は、「ばかやろう」でした。そんな言い方しなくたって…、心の中ではいつも南田さんの味方でした。

 ある時、南田さんはすてきな人だと、洋子さんには感謝しているという長門さんの長い話を聞きました。とてもうれしく話を聞きました。あのばかやろうはないのではないか、と長門さんに言ったら、にっこりと笑って、言葉は返ってきませんでした。

 南田さんが長い眠りについたあの日、長門さんはお仕事ですぐにお会いできなかったそうで。でも、仕事を終えて飛んで帰って、南田さんにお会いしたときに長門さんが大粒の涙を流しながら南田さんに言った言葉は、でっかい声で「ばかやろう」でした。とても悲しいばかやろうでした。私には、あのばかやろうは「大好きだよ洋子」に聞こえました。「愛してるよ洋子」に聞こえました。「何で一人にするんだよ洋子」にも聞こえました。「もっと尽くしたかったよ洋子」にも聞こえました。あんな悲しい、あんな優しい「ばかやろう」を聞いたのは初めてです。

 洋子さん、お願いです。あのばかやろうおやじさんを見守ってあげてください。それから、長門さん、長門さんのばかやろうは、大好きだよ、だったんですね。

 洋子さん、また心配させてしまいましたね。ありがとうございました。



南田さんって、”皆にあいされてたんだなあ。”って、欽ちゃんの弔辞で改めて思います。


葬儀に参列した俳優の中尾彬、池波志乃夫婦のインタビューもジーンときたから、載せておきます。

取材陣との一問一答は以下の通り。

 --夫婦での出席となったが

 中尾さん「私は45年前から(南田さんに)かわいがってもらってね。志乃のおじいちゃん(落語家の5代目古今亭志ん生)のファンで、志乃の家に来てたんだろう、洋子さん、な。(隣に立つ妻の池波志乃さんに話しかける)」

 池波「そうですね。うちの亡くなった父(落語家の10代目金原亭馬生)が撮った(南田さんの)写真がびっくりするほどキレイでね。うちの無愛想なおじいちゃんもこれほど幸せはないという顔で一緒に映っている写真が残っている。私はこれが女優さんを一番身近に感じた初めての写真で。のちに洋子さんにお会いしたときに言ったら覚えてらして。なんだかそれを今、思いだして。今、考えてもキレイだったなと思って…」

 --長門さんから南田さんを介護していたときの話を聞いたことは

 中尾「いや。洋子さんがセリフを覚えられなくなったというのは、元マネジャーから聞いて。そうか、かわいそうだなと思っていた。あの人は昔から意地のある強い人で、不思議に私は恋人役をやったこともありますしね。長門さんが介護しているというのはテレビで見たんですけど、ああ、見たくないなと思いましたね。それだけでした」

 --今日はどんな思いで葬儀に出席したか

 中尾「私はただただ、(役者として)ここまで基本から育ててくれたのは洋子さんでしたから、ありがとうございますとしか言いようがありません」

 --2人の夫婦愛はどう見ていた

 中尾「最終的には介護があったり、いろんなことがあった。ただ、そういうものがないと、どこか信じ合えないのかなと。いつも仲のいい夫婦ってありえませんしね。結婚するとみんな笑顔の絶えない夫婦でいたいと言うけど、そんなばかなことがあるわけないんでね。怒ったり、泣いたり、けんかしたり、どこかでそれがないと。今日(の長門さん夫婦)みたいな夫婦愛は生まれないのではないかなって気がします」

 池波「お互い病気をしたりして、だから、なんかそういう時に恋愛とかじゃないことが分かるのかなと。大先輩ですけど、私たちもそうなれるかな。なれたらいいな…」

 <中尾、涙があふれ出てくる>

 中尾「いや…、あんまり悲しくなかったんですけどね。こうやってインタビューされるとね…。弱っちゃうな。いなくなっちゃったんだなと思います」

 --洋子さんにはなんと語りかけた

 中尾「ありがとうございましただけ。ただ、こうやって(記者に)囲まれると急に…(涙)。長門さんには(これからも)舞台もやってくださいと話すつもりです」





今日は、円楽さんのことも、朝、テレビで放送していました。

円楽さんの笑点最後の出演のときに、楽太郎さんが、歌丸さんから、”楽太郎さん、さっきから、一度も

手があがってないじゃない。”って言われて、”感無量で・・・”って答えたとき、師弟愛っていうか、円楽さ

んの存在が楽太郎さんにどうだったかって考えると胸にキューンときました。

笑点、何気なく見てましたが、、落語家の名人といわれる人は、何気ない世間話から、スーと古典に入っていく、その話術の巧みさにいつも感心しています。

ありきたりの言葉ですが、惜しい人をなくしました。



人間、死んじゃうと、皆良い人になって、忘れられちゃうから、

”憎まれっ子世にはばかる”を、これからも続けたいとおもいます。






  


Posted by OFFICE TOSHI at 09:29 Comments( 0 )

2009年10月30日

気力とは、あきらめないこと



目の下を赤くした私の顔を見て、


「しょうがないわね。また見ていたの。」


実は、昨年NHKで放送していた、”フルスイング ”ネットでみていたんです。

今日は、最終回、高畠先生が卒業式のあとのホームルームでこの文字を書き、

「実は、ワシは、癌なんじゃ。」

と最後のホームルームをしているところで、最後に

”皆にエールじゃ。”

って一回、2回・・・ とフルスイングしているところを見ていたら、泣けて、泣けて・・・・

これほんとうにいいですよ。

勇気くれるっていうか。

落ち込んでいるとき、見るといいですよ。




30年間、打撃コーチを30年間務め、多くのスラッガーを育てた高畠導宏さんが、

通信教育で教職の勉強をはじめ、

プロ野球球団のあまたの誘いを蹴って高校教師の道を選んだのです。

そして、平成15年春、福岡県の私立筑紫台高校に新人教師として着任します。

社会科教諭として教鞭をふるう一方、野球部を甲子園に連れて行きたいと考えたのでした。

諦めや疲労感に支配される五十代に、なかなかできることではありません。

ところが、長年の無理がたたったのでしょう。

高畠氏の体はそのとき重大な病気に冒されはじめて……。



  


Posted by OFFICE TOSHI at 14:10 Comments( 0 )

2009年10月29日

12÷4って



12÷4 という数字がテレビに映し出されると、

女房が急に、”ベッカムは教えられないんだって!”

”えー何それ?”

ベッカムは、小学校3年の子供に算数を教えられないんだって。

この間テレビでやってたよ。”

女房から教えられることって、結構多いです。

見積もりだしても仕事がきまらなくて、いらいらしている私に、

”海で遭難した人がどうして助かったか知ってる?

じっと呼吸抑えて体力温存してたからよ。

あんまりばたばたしないほうがいいわよ。

家の周りのかたずけでもしたら!

kさんも相手が倒れるの待ってるんでしょ。”

うーん。

確かに一理はありますね。



  


Posted by OFFICE TOSHI at 10:20 Comments( 0 )

2009年10月28日

小さな魚が泳いでいました。



道路端の側溝に、小さな魚が泳いでいました。

珍しい、めだか?

よく見ると点々が付いています。

鱒の稚魚なんですよ。

前々日の雨で逃げ出してきたのかな?

私ら家の周り、養鱒所が多い地域なのです。



富士山、すっかり雪景色で今年は、いつもよりも冬の到来が早いのかな。

といっても後ちょっとで11月なのです。

1年ってほんとうにはやいですよ。

今日、同業者のh制御さんと話をしたんだけど、

”リーマンショックから、1ヶ年。

すっかり、遊ぶこともなれたよ。貯金で食いつなぎながら、

同業者がつぶれるのまってるんだ。”

なんていってました。

確かに、見積もりを出してもきまらなくて、

おまけに、いっそうのダンピングを迫られるのは、つらいことです。

早くもとの景気にもどってもらいたいですよ。




昨日は、友人のh君が遊びにきたんで、

”みっちゃん家”でお昼をご馳走してあげたんだ。

彼は、ネットでフェラリーっていうネットショップを経営してるんだけど、

Gパン全然うれないっていってたよね。



そういえば、みっちゃん家も人がはいってないよな。

景気の悪いことばっか書いてしまったけれど、

なんとなく生活してるし、ゆったりした、時間を楽しんでる。

もしかすると、

今がいちばん幸せなのかもしれない。








  


Posted by OFFICE TOSHI at 19:21 Comments( 0 )

2009年10月27日

八ッ場ダム建設問題について




民主党が打ち出した八ッ場ダム建設問題に世の中は、ゆれているようだ。

58年前の計画がいまだに続いていることえの驚愕と、静岡空港の問題が妙に重なってくる。

治水と首都圏の水がめとしての役割。

このダムがないから、水害が起きたか、そして、首都圏は、水不足になったか。

いずれもNOである。

途中で中止されても、・・・

という各県知事の意見がニュースとして流れている。

われわれの税金がこのダムが完成しても、無駄につぎ込まれるのは、明白な事実だ。


静岡空港から、日本航空が撤退するという。

出来たばかりの空港なのに、おまけに搭乗保障もつけてのことだったのに、

何のための空港なんだろう。

どのように考えても、公共事業の膿が出てきている。

無駄だとおもったら、引き返す勇気が必要だ。



今NHKのニュースを見てるんだけど、NHKの場合なぜか、ダムの中止に反対の記事が多いよね。

水害が心配だっていう、どういう立場の人だかわからない人のインタビューを乗せている。


近頃、押尾の事件で妙にテレビの報道が消極的なことなどに疑問をもってみている。

ピーチジョンとの関係は?

なんてことが、一言もでてこないことに、不思議な情報操作を感じてしまうのは、自分だけなの?

ほんとうのことなんて、いつもテレビの向こう側にあるのかもしれないのです。


  


Posted by OFFICE TOSHI at 22:07 Comments( 2 )

2009年10月27日

巨人の星いいですね。



GYAOの昭和TV楽しみに見ています。

ブルジョア・根性・熱血 全て死語になってしまったようですね。

40年ぶりに見ているのかな?

今は、飛雄馬が甲子園に行くところを放送しています。

親父のVサイン。

かっこいいですね。

こんな親父いなくなりました。

なろうと思ってもなれません。

景気が悪くなって、時代は、逆戻りしているようですが、この当時は、

明るい未来があったような気がします。

ヤフーといっしょになって、画面がちいさくなり、寂しいかぎりですが、CMが少なくなったのは、いいことかな?

本日”T電のS君”が来て、iPhoneを見せびらかしていきました。

ブログを更新しないんで、心配してきたと言ってました。

ぼちぼちまた書いていきます。

よろしくお願いします。





  


Posted by OFFICE TOSHI at 17:44 Comments( 1 )

2009年10月26日

話題の本がありました。



物置さがしていたら、この本みつかりました。

長門裕之の”洋子へ”です。

もっていたよな。と・・・・

実名で女優さんのことが書かれているんで、大丈夫なのかな?

と思っていましたけれど、案の定、発禁になってしまいました。

よく裁判沙汰にならなかったな?

といまさらながら、思います。

南田さん、姑の介護していたようで、その話も出ていました。

長門さん、ずいぶん南田さんを泣かせたようですね。

南田さんの介護をするのは、当たり前なのかもしれませんね。

南田さんのご冥福を祈ってます。





  


Posted by OFFICE TOSHI at 17:44 Comments( 2 )

2009年10月20日

いつも見ている富士山と違う。



昨日浮島工業団地で、仕事をしていたのですが、お客さんの工場から、見た富士山の形状が富士宮から、見る富士山と違うことに気がつきました。

いまさら、何をといわれそうですが、てっぺんが、左下がりの富士山なんですよ。

一緒に手伝ってくれた、Wさんは、「この形が、子供のころから、見ている富士山だよ。」

っていうんです。

「富士宮から、見た富士山は、おかしい。」



富士宮から、みた富士山のてっぺんは、とがったところが、真ん中にきて、左右対称の下がり具合になっているのです。

これが私が、毎日見ている富士山。

”どこから、見た富士山が綺麗なのかな?”そんなこと思っています。

秋の日は、つるべ落とし、光の具合で、実に巨大に見えた今日の富士山でした。








  


Posted by OFFICE TOSHI at 22:16 Comments( 0 )

2009年10月19日

人生の幕引きですか?



数日前、加藤さんのCDネットでさがしていました。

ですからちょっと驚いています。

”パパヘミングウェイ” LPでもっていたのですが、CDで聞きたくなっていたのです。


”マダマダサンバ”もユニークな曲でとても好きな一曲です。

タケシさんが、”俺ら年代は、やばいんだよね。”なんてこといってました。

焦燥感が、心の中に巣くっていたのでしょうね。

たけしさんよりも、ちょっと若い、我々だって、体の衰え、能力の衰え、そんなことを感じてすごーくさみしくなるときがあるのです。

若いとき、簡単にできたことが、出来なくなってくる。

そんなことは、しょっちゅうで、年齢を重ねてずうずうしくなった分だけ、開きなおっている自分にきずくことがあります。

完璧主義者だったんでしょうね。

あのホンワカした、歌が聴けなくなるなんて、寂しいです。

ところで、拓郎は大丈夫なのでしょうか?   


Posted by OFFICE TOSHI at 18:43 Comments( 0 )

2009年10月18日

秋も深まってきました。



実りの秋を迎えています。

先日本栖湖のほうにドライブに行ってきました。



もう寒くて、車の外に出ていると、もう冬の冷たい風が・・・・

季節は確実に回っているようです。


今日は、娘の英検のテストの送り迎えをしました。

昨日から、おなかが痛いといっていたのですが、本日40度まで体温が上昇したとか、


例の流行のインフルエンザかと心配しています。

私も体温をはかると37度。体の節々が痛いのです。

明日は仕事なので体調を整えねば、とおもっているのですが、このごろ無理をしていないので、これ以上悪くならないのかな?

なんて思っています。










  


Posted by OFFICE TOSHI at 23:11 Comments( 0 )

2009年10月04日

秋も本格的になってきました?

 
ちょっと晴れると真夏日みたいになってしまうのですが、

もう10月、日が暮れるのも早くなっているし、もの思う秋も・・・・

でもTシャツ一枚で過す期間が長くなっていることは、確かです。

日本も熱帯地方になりつつあるのかもしれませんね。


昨日は、久しぶりに地元で飲んでいました。


飲み歩いていないの?


って聞かれると、そうか毎週どこかしら、行っている。

先週は、”接待”で業者の人と飲んでいたのかな。


昨日は、気の合う仲間。

たわいもない世間話と、やさしい緊張感があって、

癒されていく自分と癒されたい仲間との、ゆるやかな時間が楽しい空間を作っていくのかもしれません。



今朝、台所に立つ女房がポツリと一言。

”人生は、短いだって。”

”何それ。”

”16歳の娘の友人から、出た言葉だって。"

娘の通っている高校で、隣のクラスの子が心筋梗塞でなくなったそうで、子供だと思っていた娘もそんな

こと話すようになっちゃったんだ。

なんて、うれしくもあり、悲しくもあり。

もの思う秋に、憂いのきもちが、すこし起こっています。



今日は、秋晴れの良い天気。

何をしようかな?

なんて、縁側にすわり、青い空を眺めています。
  


Posted by OFFICE TOSHI at 10:58 Comments( 1 )